第四話 昔話
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──私だけが赤い病気の進行が遅い。まだ幼かったナギがそう気が付いたのはアニ村が、もう彼女が知る故郷の村の姿を失いつつあった頃だった。
十三年前。小さな漁村であるアニ村をその病は猛烈な勢いで襲った。村を包む笑い声は苦悶の声にかわり、その苦悶の声すらも日に日に少なくなっていく。
生き残っているものは病が進行するほど変質する皮膚の症状と、時には膿み、腐り落ちるそれに、外にでることはおろか寝床から起き上がることもかなわず、病と死で腐る血肉の匂いが家々から漏れ出て村の空気は淀み切っていた。村人たちは小屋の扉を閉め切り腐臭から感染することを恐れ、まだ助かっている住民たちを助けようと必死だった。
この大流行が怒る前は病のことを村では『アシブネ』と呼ぶことが多かった。
罹った者は初期段階ではきれいな水としっかりとれば重い症状になることはない。稀に重症化したものが表れたが、末期症状まで進行して『赤い怪物』となれば村総出で介錯し、亡骸は破壊神あるいは鬼神として祀り無念を鎮め、最後は葦船に乗せて海に送るのが村の風習で、その光景からこの病気を『アシブネ』と呼ぶようになった。
そんな『アシブネ』がここ数年で増えていたのは幼いナギにもわかっていた。それは死の匂いが充満するアニ村が変わり果てるまでの数年間前。ちょうど近海で毒魚しか獲れなくなり、村近くに流れる川で日々の食料である魚を獲るようになった頃。数十年見るか見ないかの病である『アシブネ』が一年に一度、数か月に一度、毎月、そして毎週に見るようになった。
でもその頃は異変に首を傾げつつも初期段階で村にある綺麗な井戸の水を飲む治療ができたため、皆すぐに回復できた。
それでも村にいる唯一の医者は、「さすがにこの状況はおかしい。」と言い、もしや『アシブネ』は伝染する病なのかもしれないと、島の反対側にある海軍が管理する街の医者へ意見を求めに行った。
──ちょうどその頃だった。
「兄ちゃん。おなか痛いん?」
ナギの家族。年の離れた兄が体調を崩した。兄妹共有の部屋のベッドに寝転ぶ兄を見てナギは心配そうに眉をひそめる。幼いナギでもわかる。兄の体調不良は『アシブネ』の初期症状だ。両親はそんな兄のため、症状を和らげる薬を海軍の街へ買いに行っていた。本当は村の診療所で手に入るのだが、数日前に医者が街に行ったきり戻ってこないから仕方なくだ。両親の帰りを待ちながらナギは兄の看病をしていた。
「あァ。でも、もう大丈夫だ。」
まだ成人していないが、村一番の腕っぷしを持つ村を守る剣士でもあるナギの兄は、いつものように溌剌とした様子とは違う疲れ切った顔でそう言うと、枕元にあったきれいな水は入ったコップをつかみ、中身を煽った。
「これぐらいだったら水飲めば治るだろ。」
「……。」
「ほら、現にちょっと元気になった。」
「……もっとお水飲まなきゃだめ。」
ナギは兄にそう言ってコップの横にあった水差しからコップへ水を注いだ。注いで水差しが空になってしまったのを見ながら、ナギは兄に水がたっぷりと入ったコップを渡す。
「わかったって…早く治すよ。ってことでおかわりよろしくな?」
コップを受け取ったナギの兄は空の水差しを見てそう言って笑った。
ナギが水差しに水を注ごうと自分たちの部屋を出て、台所にある家の飲料水が入っている瓶を除いたが空になっていた。仕方がないのナギは瓶の横にある木のバケツを手に持つと、家から出る。村の飲料水の全てをまかなう井戸に行くためだ。
だがナギが井戸に着いたとき、井戸の周りにはちょっとどころではない人だかりができていた。村人のほとんどがいるようなそれにナギは首を傾げる。
「どうしたの?」
「…!ああ、ナギちゃんか。」
ナギはバケツを抱えたまま井戸の人だかりに駆け寄り、見知った壮年の男に声をかけた。男は振り返り、疲れた声でナギに答える。
「ナギちゃんも水を汲みに?」
「うん。おうちの瓶が空になったから…。おじさんも?」
そう言ったナギはちらりと男の足元を見る。ナギが抱えているバケツと同じようなものがあった。
「そうだったんだが…。」
「?」
「──やっぱりだ!井戸が枯れてる!」
男の困ったような声にナギが不思議そうにしていると、村の若い男の大声が井戸の方から聞こえた。その声を皮切りに人だかりはざわざわと騒ぎだす。その声たちは動揺に色を含んでいた。
「昨日までは問題なく使えていたぞ…。」
「いきなり枯れるなんて。」
「『アシブネ』といい、村はどうなっているんだ。」
「そうだよ。井戸はここしかないんだぞ。きれいな水はどうするんだよ!」
「ああ、これじゃあ『アシブネ』の治療もなにも…。」
「そういえばお医者はどうしたんだ?見ていないのか?」
大人たちの動揺とその言葉たちにナギはもっていたバケツをぎゅっと抱きしめる。そんなナギに側にいた男が彼女の頭にポンっと手を置くと、ナギは男を仰ぎ見る。ナギと目が合った男はニコリと笑うと未だ動揺しざわめく村人たちに向けて声を上げた。
「そう動揺するな!子どもたちが怖がるだろう!」
「そういってもよ。水がないと『アシブネ』は進行しちまう。」
「ああ。でもこの村は恵まれてる。近くに川があるのを忘れているのか?そこの水を使おう。うまい魚が獲れるきれいな川なのは皆も知っているだろう。それでも不安が残るなら念のため煮沸してから飲めばいい。」
男はそう言って足元にあったバケツを拾った。
それからしばらくして、ナギも『アシブネ』に感染した。
動くのがつらくて、おなかがいたくて、おしりがいたい。それに背中がひどくかゆく、それでいて熱い。でも家には今二人しかいないから、ナギよりも症状がひどくなっている兄にナギは水を運ぶ。両親は薬を買いに出たあの日から戻ってこない。
「兄ちゃん…きれいなお水だよ。」
ナギはそう言ってしゃべることもままならない兄の口元にコップを運ぶ。ナギの兄はそれをせき込みつつ飲むと、身体のほとんどが赤く変質した皮膚が痛むのか、獣のような唸り声をあげた。
「な、ギ…。」
「兄ちゃん?」
「とう、さ…。」
「二人とも、帰ってきてないよ。お医者さんもまだ…。症状が軽かったツキノワが街に、海兵さんに助けを求めに行ったんだけど、ツキノワも…帰ってないって。」
「なん、」
なんで。顔の半分が真っ赤になっているナギの兄の目からは涙が流れていた。
幼いナギにもわかっていた。
『海を守る海軍はこの村を見捨てた』と。
◆
「みんないなくなって、でも何人か『赤い怪物』に変わってしまって。でもあの時の私には介錯することができなかった。刀一つ満足に振れないただのガキだったから。」
ナギはそう言って佩いた平たく大きな赤い鞘の刀を握った。
ナギも『赤い怪物』になる病、『アシブネ』に罹っている。
そこから始まったナギの昔話、村を滅ぼした病の話を静かに聞いていたローたちは、目の前に見えた朽ち果て桟橋を見つめていた。いつの間にかたどり着いていたもう誰も泊まることがない港。アニ村の抜け殻。
「……ジジイからおれ達の助けがいるとは聞いていたが、それと今の話……。エターナルポースの対価におれ達へそいつらの介錯の手助けを頼みたいってことか。」
ナギのその様子を見ていたローは、そう言葉にするとナギは少しの間をおいて頷く。
「……わかった。引き受ける。」
ローのその言葉にベポはつらそうな顔をしていた。
「キャプテン…もしかしたら。」
「ベポ。約束できないことを口にすんな。」
「ペンギン、でも。」
ベポのなにか言いたげな様子をペンギンが止める。
「……そろそろ村の入口が見える。『赤い怪物』は強い。誰も知らないような村に住んでいた民間人だった、だなんて思わないで。」
しょんぼりするベポをわざと無視するように、ナギは腰の刀を抜くと言葉通りに見えた村の入口に足を進めていった。
「エターナルポースがあるのは村はずれにある私の家だったところ。でも近づくには『赤い怪物』がいてたどり着けない。──手に入れるためには、どうか。」
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