【長編IF】君の熱を知る
更新日:2024年2月21日
震える息に混じる音はなんだろうか。
突然視界が真っ暗になり強い力で身体が動かないのに皮膚からは何も伝わらず、衣擦れと骨の軋む音がした気がして、そこで初めて抱きしめられているとわかった。
意識すると抱きしめてきた人は少しだけ身体を震わせていた。それを感じながらそろりと視線を上にあげ、その人の背に片腕だけになった腕を回す。また衣擦れ。手はこの人の背に触れているらしい。
何も感じない身体を初めて憎らしく思い、視界が霞む。瞬きをするとそれは晴れるが、代わりに抱きしめ返した人の服を濡らした。
「……馬鹿が……バカ、野郎」
いつもみたいな気だるげでも、怒る時の鋭い声でも、シーツに落ちる優しく甘い声でもない初めて聞く声。ひたすら落ちていく、悲しい声。
その声を聞いて、わたしはまた彼の服を濡らす。
そっと肩に額を預けた。大好きな優しい匂いがすることに気がついて、ハッとする。触れているところから熱を感じる。温かい。そんな気持ちになった。この身体になってしまって初めてのことだった。
目が熱くなり堪えきれなくて彼に回した腕を強く引き寄せた。衣擦れの音がして、濡れた彼の服は酷い有様だろう。
それでも、それでも、そうなれたことが何よりも嬉しかった。この無慈悲な海で“また”なんて約束、果たされないものなのだから。
「またあえたね、ロー」
この言葉を贈れるなんて有り得なかったのだから。
◾︎
「右上腕部から下の欠損。両脚が壊死していたためやもなく切断……粉砕骨折および長時間海に晒されたことが原因とみられる。なお、収容時は両脚共に動いていたが、後述の『アシブネ病』の末期症状によると見られる現象……」
「『アシブネ病』は原因となっている寄生虫が脳幹へ侵食すると、本来なら『赤い怪物』になってしまうんだけど、宿主が寄生虫に抗うと操作できるようになる……らしい」
「どういうことだ?」
そういったのは初めて見る面を付けたハクガンだ。仮面越しでも困惑を隠しきれないその言葉にわたしは、「わたしも言葉までしかわかってないんだけど……。」と神妙な顔でカルテを読み上げているペンギンを見上げる。
なおわたしはベポの膝の上に座らされていて、背もたれと化しているベポは嗚咽を漏らしながら泣いてわたしの服をびちょ濡れ状態にしている。なおローは黙り込んだままわたしの目の前に座り、目線を下に落としていた。彼はペンギンがカルテを読み出す前にすごい勢いでそれを読んでからこうなってしまった。気まずさを感じながらもハクガンの疑問の続きを話す。
「えと……『アシブネ病』の原因のとなる住血吸虫は血中のヘモグロビンを餌として成長するんだって。でも血液中の白血球が虫を殺すから新しい虫を取り込み続けない限り病の進行はとても穏やかになる。ただ、宿主が免疫力の低下、栄養失調……大量出血など命を脅かすような状態になると爆発的にその数を増やして宿主を乗っ取る行動に移る。死なれたら困るからね。」
そこまで話すと背中から回されていた腕にグッと引き寄せられ息が詰まった。「おいベポ……ナギが苦しいだろうが。」とシャチがポツリ言ったのを拾ったからかすぐに緩んだが。モフモフの手をポンポンと叩きながらさらに話を続ける。
「大抵の場合宿主はそこで死ぬ。アニ村……わたしの故郷の人たちもその次の段階に進んだのは6人だけだからね。生存戦略が上手くいき、生き残った住血吸虫はさらに住み心地を良くするため宿主の姿を変える。動物の姿なのは擬態だろう……って。」
ペンギンはそれを思い出したのかカルテから顔を上げるとわたしを見て何か言いたげな顔をしていた。なんでって顔だった。そりゃ『なんで』ってなるよねと思いながら続ける。
「……でも、わたしはそうならなかった。条件とかわからないんだけど住血吸虫の乗っ取りを防いで、逆に乗っ取ってる状態らしい。宿主を乗っ取るメカニズムは住血吸虫の女王たる個体が神経系を乗っ取るから、らしいんだけど……わたしはその女王にとって変わってるらしい……。だから今生きてて……いや、死なずにいれた。カルテには書いてると思うけど……。」
「長時間海にいたことで低体温症になっていた。血液のほとんどを失っていた。酷い栄養失調状態になっていた……“はず”で本来なら死んでる状態だった……か。」
「うん。その“はず”を脳幹まで達した寄生虫たちが全て防いだ。……寄生虫の生存率を上げるために基礎体温が上昇したこと。寄生虫はヘモグロビンを餌とする代わりにその働きを代わりに行う特性を持つために血液が一時的に失われたとしても、寄生虫が死なない限りは生き残れること。栄養失調状態も寄生虫が死なない限り猶予期間があるから耐えられた。だから検査した時死んでるのに生きてるって後から言われたよ。」
静かに聞いていたイッカクが鼻を啜っている。頬に傷ができていて、あの戦いの記憶が蘇り、目線が自然と下に落ちた。
「でも、そのおかげで最後まで戦えた。両脚がぐちゃぐちゃでも寄生された血を操作できるようになったから動かせた。まあ、脚は無くなったけど、怪我の回復もすごく早くなったし……あ、そもそも腕は、自分で切ったし……。」
暗い顔になっていくウニとクリオネの顔を見て気まずさに拍車がかかる。
「つまり生きてるから! 大丈夫!」
明るく言ったつもりだったが、眉間に皺を寄せて黙々とカルテを読んでいたペンギンかふと手を息を止めたのと同時に、ずっと静かだったローが口を開いたを
「触覚……痛覚も含めての消失。味覚の消失。……体温の上昇により脳タンパクが変異したことによる弊害。あるいは住血吸虫による戦略。診断によれば多量の血液を失ったきっかけは両脚を酷く損傷したことだと記録されていた。あと腕を切ったこと……ドクQの攻撃を一人で受けざる得なかったからだ。」
「……うん、そう聞いてるし、攻撃を一人で受けたのは事実だよ。」
まくし立てられる言葉にわたしは静かに言葉を返す。ローは何度か何かを言おうとしたあと、ふと顔を上げわたしを見た。とても、歪んだ顔で。悔しそうな顔で。
「おれがいれば、治してやれた。」
沈黙が訪れる。お腹にまわっていた白くて優しい手は震えていて、わたしはそれを見て、「そうだろうね。」と呟いた。
「最後まで残っていたのは聞いた。その後見つからなかったことも。いまさら――」
「でも、あえたよ。」
悲しくて辛くてたまらないと声でも伝える船長をまっすぐ見てわたしは言った。
「また、なんていうんじゃなかったって思わなくていいように、わたしはあの場所で見送ったんだ。また会うために。次に繋げるために。」
笑ってみんなに会いたかったから、あの時頑張れたんだ。
また歪む顔を『そんな顔したら船長のことみんなもっと好きになっちゃうよ』と思いながらわたしの想いを紡いでいく。
無機質に輝く両脚でもまだ駆けていけるから。腕もまだ一本あるからみんなと手を繋げるよ。また、みんなで行こう海へ。海賊らしく自由に。歌って、笑って、宴をしよう。
「ねえ船長、次はどんな島だろ? わたし、すっごく楽しみだ。」
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